社長

高田明の自宅や年収が凄い!生い立ちや高校・大学の学歴と経歴も!

こんにちは!たんぽぽです。
「MCたんぽぽの気まぐれカフェ」にようこそ~!

12月19日放送の「カンブリア宮殿」に
あの「ジャパネットたかた」創業者の
高田明さんが登場します!

破綻寸前だったサッカーチーム「V・ファーレン長崎」を復活させた
剛腕の持ち主です!

今回は、その高田明さんに迫ってみたいと思います!

高田明の自宅や年収が凄い!
生い立ちや高校・大学の学歴と経歴も!
という内容でまとめました。

高田明の自宅は?

高田明さんの自宅は
長崎県佐世保市にあります。

高田明の自宅や年収が凄い!生い立ちや高校・大学の学歴と経歴も!
引用元 社長の家~日本の豪邸写真集
上空からの画像しか見つかりませんでした。

NHKドキュメントの決断「名物社長の引退~ジャパネットたかた高田明~」
という番組で紹介されていたようなのですが・・・

高田明の自宅や年収が凄い!生い立ちや高校・大学の学歴と経歴も!1.jpg
出典:http://varadoga.blog136.fc2.com/blog-entry-46370.html

玄関だけで、この広さ!!
白を基調にしていて、ガラスを多く使っているので
なおさら広く感じられます。

これだけで、センスの良さを感じます。
凄い!!としか言いようがありませんね!

高田明の年収は?

高田明さんの総資産は2012年の時点で
600億円あったのだそうです。

ジャパネットたかたの年商は1000億円を超えていますが
高田明さんは、
2015年1月16日で、ジャパネットたかたの代表取締役社長を退き
現在は、
株式会社A and Live(エーアンドライブ)代表取締役社長および、
株式会社V・ファーレン長崎代表取締役社長という役職です。

これも、2020年1月1日までで
その後は、高田の長女で、ジャパネットの関連会社の社長を務めていた
高田春奈が運営会社の社長へ就任することになっています。

高田明さんがV・ファーレン長崎の社長になった当初は
経営がかなり厳しい状態だったので
高田社長は、ほぼ報酬なしで
チームの存続の為に力を注いでいました。

現在は、観客も増え
V・ファーレン長崎の経営状態は持ち直しているので
ある程度の報酬は貰っていると思われます。

ただ、V・ファーレン長崎の新しい本拠地を
長崎市内に建設することが決定していて
サッカースタジアムなども建設予定なので
かなりの費用が想定されます。

おそらく、高田社長自身は
2019年現在、71歳という年齢もあり
報酬などは全く問題視していないと思います。

資産がこれだけあるのですから
自身の損得は考えず
地元、長崎の発展の為に頑張ってくれている
という印象です!

私は、とくに長崎の人間ですから
高田社長の噂を耳にすることもありますが

嫌な噂は聞いたことがないので
自分の儲けを最優先するような方ではないと信じています。

とはいえ、
株式会社A and Live(エーアンドライブ)代表取締役社長
という役職ですので、
年収は2000万位はあるのでは?
と予想します。

他にも、高田社長はこれだけの経営手腕を持っていますので
講演会の依頼が多いそうです。

本も出版していますし・・・

講演会の依頼は
1回80万円です!

いろいろと多忙なので
あまり講演会の依頼は受けていないようですが
月に1回だとしても、年間1000万ほどの報酬になります。

これだけでも、さすがです!!

高田明の生い立ち

https://twitter.com/J_League/status/1196698372499005440?s=20

高田明さんが生まれたのは
長崎県にある平戸市です。

平戸は、長崎でも端っこにある島です。

兄と、弟と妹とがいる4人兄弟の次男として育っています。

父は写真が大好きな人で、
自宅に暗室があり
自分で写真を現像していたそうです。

その趣味が高じて、
フィルムを販売する小さなカメラ店を開業。

少年時代はわんぱくだったといいます。

母方の祖父母が芝居好きで
一緒に連れて行ってもらい
よく兄と芝居の真似事をしていたそうです。

学生時代は、ものすごくまじめな生徒で
校則で決められたことは絶対に守り
恋愛も全くなし。
ファッションにも無頓着だったと語っています。

もの凄く田舎育ちなので
よく言えば純粋ですよね!

自分の好きなことには脇目も振らず熱中するけど
興味のないことは、どうでもいい!!

そんな性格に思えます。

 

高田明の出身高校と大学

https://twitter.com/GoalJP_Official/status/1190813285890674688?s=20

高田明さんは地元の
長崎県立猶興館(ゆうこうかん)高等学校卒業後
大阪経済大学経済学部に進学しています。

経済学部だったものの
大学4年間は授業そっちのけで英語漬けの毎日

大学3年次には、
大阪万博が開催されていて、
15回くらいは会場に足を運んだそうです。

パビリオンの展示物には全く興味がなくて、
会場にいる外国の方に話しかけるのが目的だったと語っています。

おそらく、何かに興味を持つと
とにかく、それだけに一生懸命尽き進むタイプ!

その、真っすぐさが成功の秘訣なのかもしれません。

高田明の経歴

高田明さんは
就職も英語を生かした仕事ができそうだという理由で、
京都にある機械メーカー
阪村機械製作所に入社します。

希望どおり1年後にはヨーロッパに駐在し、
さまざまな国で機械を売り歩いたそうです。

ドイツを拠点に、ヨーロッパのほとんどの国々に行ったんだって!

その後、翻訳会社を設立しようと退社するも失敗。

平戸へ帰郷し、
1974年から兄弟で実家のカメラ店を手伝っていた。

30歳で佐世保市に「カメラのたかた」支店を出店し移住。

1986年1月、「カメラのたかた」から独立し、
「株式会社たかた」(ジャパネットたかたの前身)を設立。
1999年までは、実父・政雄が同社の会長を務めています。

「株式会社たかた」では、
カメラフィルムの「即日現像・手渡し」を旗印に、
カメラ販売で業績を拡大。

また、一般家庭へのビデオカメラの普及を機に、
ソニーの特約店になる。

さらに、カラオケブームの到来に合わせて、
パイオニアのカラオケセットを販売していました。

地元局の長崎放送ラジオの番組内で放送する
通信販売コーナーへの出演を依頼され、
これを機に通信販売の分野への進出を決意。

1990年3月に同局で本格的に
ラジオショッピング番組を始めました。

1994年にはテレビショッピングに進出。

ジャパネットたかたでは、
佐世保市の本社屋内に設けたスタジオを中心に、
自社運営のスタジオで
日本全国のテレビ・ラジオ局に向けてショッピング番組を制作。

高田社長自身も、肥筑方言訛りの甲高い語り口で商品を紹介し
人気になりました。

あの、甲高い声がテレビから聞こえてくると
どうしても、見てしまいますよね!?

でも、普段の高田社長が
落ち着いた声で話しているのを見て
びっくりしたのを覚えています。

あの甲高い声は演技?

商品のいいところを
一生懸命、説明してる感じがうけたんだと思います。

商売人の本能かもしれませんね!

まとめ

日本の端っこにある長崎から
ラジオやテレビを使って
全国に向けて商品をアピールするという
高田社長の経営戦略は
時代を見据えていて

「先見の明がある!」
としか言いようがありません。

まさに、長崎の誇りです!!

高田明さんの番組を、以前見ていて
こんな経営者、上司のもとで働いてみたいと思いました。

2016年の熊本地震の際には
被災地の復興支援プロジェクトを開始し
視聴者に支援への協力を呼びかけています。

こんな経営者が
長崎にもっと生まれたらいいのに・・・
と願ってやみません!

最後までご覧頂きありがとうございました。