こんにちは!たんぽぽです。
「MCたんぽぽの気まぐれカフェ」にようこそ!
丹道夫さんってご存知ですか?
あの「富士そば」の創業者です!
最近、メディアでも良く見かけますが・・・
なにやら、凄い人らしいので調べてみることにしました!
今回の記事は・・・
富士そば創業者
「丹道夫の年収と名言がヤバい?生い立ちと学歴や経歴も凄かった!」
と題してまとめています!
丹道夫の年収は?
そして心から反省する機会は、「自発的に行動して失敗した経験」だけから生まれます。
— 丹道夫(富士そば会長)bot (@tan_michio) December 3, 2019
名代富士そばの年商は100億円!!
丹道夫さんはダイタン株式会社の会長で
富士そばはダイタン株式会社のグループ会社です。
ダイタンフードの資本金は3000万円。
資本金が2000万~5000万円の企業の役員報酬は
平均的にみて750万円くらいが相場のようです。
丹道夫さんは、本の出版もされていて
著書は・・・
・「富士そば」は、なぜアルバイトにボーナスを出すのか
・商いのコツは「儲」という字に隠れている 富士そば流経営50のコツ
・らせん階段一代記
この3冊です。
なかなか売れているようですね!
以上のことなどから年収は1000万程ではないか?といわれています。
100億円企業の会長が年収1000万とは・・・
少なすぎるのでは?
と思いますよね~
ただ、丹道夫さんのことを知れば知るほど・・・
きっとこれくらいしか貰っていないだろうな・・・
と納得します。
稼いだら、その分還元する!というスタンスが
丹道夫さんの生き方そのものなんだと思います。
従業員を安くで使って自分だけ儲けようなんていう考えは
これっぽちもないのでは?
尊敬できる方です!
丹道夫の名言
人の良いところだけしか見ない経営者では、上に立てないのです。
— 丹道夫(富士そば会長)bot (@tan_michio) December 2, 2019
丹道夫さんの名言を並べてみました!
「商売に必要なのは強い体と強い心、強い運。
運ちゅうのは情報。威張っていたら肝心の情報が入ってこない。
だから威張っちゃいけん。」
「一生懸命やる人は失敗してもいい。
誰だって失敗はあるんだから」
「自分の力だけでは無理。
手を抜かず、目の前のことを一生懸命やること。
失敗して気付いて、失敗を成功のもとにすればいい」
「誰かが見てくれているということを忘れてはいけない」
「鍛えて気持ちをしっかり持っていないと退化して老けてしまう」
「自分でもよくここまで来たなと思う。
それはやっぱり、みんなのおかげだね」
「任せなければそれ以上のことはできない」
「昔から母に言われてたの。
「お金が欲しいなら、独り占めしちゃダメ。
みんなに分けてやる精神がないと絶対に大きくなれない」って」
「苦労知らずは人の痛みを知らないからダメ。
それは話したら分かります」
「従業員がよかれと思ってやっている気持ちに水を差すようなことをしたら、
従業員のやる気が失せます」
「無理はいけない。
無理をせず、長く、安定した収入を得ること。
これは、富士そばを始めた頃からの基本方針」
「私が心がけているのは、競争したくなるようなお膳立てだけをしっかりし、
余計なプレッシャーは与えないこと」
「みんな頭がいいのに給料が安いと安い分だけしか働かない」
「僕は人を使うのが下手だし、
うるさく言われると人は付いてこないと知っている」
「大人になると変なプライドが生まれて、なかなか謝れなくなる。
しかし私の経験上、成功する人は、謝る勇気を持っている人でした」
「一生懸命やっている人は、成長が遅くても、やり方が悪くても、
最終的には必ず成功すると信じています」
名言ありすぎ・・・
どれも、納得!!
深イイ・・・
さすがです!
丹道夫の生い立ちと経歴
「涙の川の向こうには、夢の岸辺が待っている。夢を与えられた自分は幸せ者だ。その夢を実現するために、もっと頑張ろう」
— 丹道夫(富士そば会長)bot (@tan_michio) December 2, 2019
丹道夫さんは、1935年(昭和10年)に名古屋で生まれています。
生後、すぐに父親が亡くなり
母親の実家があった愛媛県西条市に移り住みました。
道夫さんの母親は、子供を育てるために芸者としてお座敷にあがり
生計を立てていたと言います。
道夫さんが4歳の時に母親が再婚。
相手は17歳も年上の丹高助さんでした。
義理の父親である、高助さんは裕福な実業家。
山林の立木を測定したり、借家を持っていたそうです。
その後、母親が弟を出産。
それまで、優しかった義理の父は急に変ってしまったそうです。
当時、まだ5歳だった道夫さんを奴隷のように扱い
水汲みから畑仕事、掃除に薪拾いと過酷な仕打ちが続きました。
道夫さんの母親は病弱だったそうですが
治療の費用は一切出さず
母親は自身の持ち物を売って、工面していたと話しています。
そんな生活から1日も早く独り立ちしたいと思っていた道夫さん。
愛媛県立西条南高等学校農業科定時制に入学するも、
1学期で中退。
その後、義父の薦めで八百屋に年季奉公に入りますが
長くは続かず・・・
ガソリンスタンドや着物問屋など職を点々としますが
炭鉱の仕事をするなかで
結局は学問が必要だと思いなおし
会社に願いでて夜間の高校に通いました。
その後、上京し印刷会社に勤務したものの
南京虫という害虫の被害にあい、帰郷、療養を余儀なくされました。
回復後、またもや上京。
「栄養学校に通う」という母との約束で費用を工面して貰い
栄養士の資格を取得。
都内の病院で経験を積み
転職した矢先に、義父が他界。
またもや、帰郷を余儀なくされます。
道夫さんは愛媛で料理教室を開いたものの
すぐに行き詰まってしまい、
いつか呼び寄せると母と約束を交わし上京。
まずは、食品販売会社に就職。
調理の仕事で経験を積み、独立を決意。
愛媛から母親」を呼び寄せ、実家を売ったお金で
4.5坪の弁当屋「東栄給食センター」を開業します。
この事業が大当たり!
仕事仲間に誘われ共同経営で不動産業を開始!
この事業も急成長。
巨大なバーのチェーン展開も行い実業家として大成功を収めます。
これだけの成功を収めていながら
もし何かあっても食べていけるようにと
当時から、立ち食いそばの店を4店舗運営していたそうで
この店が、現在の「富士そば」の原点になっています。
結婚と同時期に、不動産業から手をひき
退職金と立ち食いそばの店舗を引き継いだかたちで
24時間営業の立ち食いそば屋を澁谷にオープンさせました。
「富士そば」の経営に専念したことが
今の成功のカギになったようです。
日本一のそばチェーンで
現在の店舗数は国内外を含め147店舗だそうです。
丹道夫の学歴
丹道夫さんの生い立ちでお分かりだと思いますが
学歴は・・・
愛媛県立西条南高等学校農業科定時制を中退し
その後、福島県の湯本で高校の夜間部に通っています。
栄養士の資格も取得していますが
大学には進学していません。
丹道夫さんは苦労の多い境遇のなかでも
様々な仕事を経験し
その経験の中から多くの知識を得て
自分なりの哲学を持って、事業を展開してこられたように感じます。
とても、堅実な方なんですね!
まとめ
社長がずっと権限を握った会社は長く続きません。
— 丹道夫(富士そば会長)bot (@tan_michio) December 2, 2019
今回は富士そばの創業者として名高い
丹道夫さんの年収や名言。
生い立ちや経歴に注目してみましたが
やはり、噂通り凄い方でした。
確かに、テレビで見ていても
優しいおじいちゃんというイメージで
全く偉そうな態度はなさいません。
威張ってる感じなんて一切ないし・・・
苦労されてる分、人間が出来てるんだな~と思います。
もう80歳を超えていても、
まだ現役でバリバリ働いていらっしゃるようなので
ぜひ、生涯現役を貫いて頂きたいなぁ~と思っています。
日本中の実業家や社長さん、政治家さんにも
丹道夫さんの生き方を見習って貰いたいものです!
最後までご覧頂きありがとうございました。